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裁判

で判決をする人ってものすごく責任ありますよね。

弁護だとか検察だとかは自分の言いたいことをひたすら言えばいいんですが、

自分の良心から客観的に事件見て、正当な判決を下す責任は大変なものです。

さらに、客観視する人物を置かずに、当事者間で事件を解決しようとすると、なお大変です。

お互いの言いたいことだけ言い、主観で見た事実を相手に押しつけ、時には論点がずれます。

自分の損得だけしか見えなくなり、主張を変え、事実を公平に裁こうとしなくなるおそれもあります。

双方の主張した事実が異なる場合には二通りあります。

一つは、上述したとおりに、片方、あるいは両方が

意図的に自分の有利な点だけを主張しているとき。

これは、素直になれば済む話です。(簡単に言うなw

もう一つは、一つの事実に対する視点が違うために食い違ったものです。

これは、どちらも自分の良心に基づいて言っているために、心底自身があります。

そして、自分が間違っているとは夢にも思わず、相手が嘘をついていると勝手に決定します。

これを解決するには、事実に対する双方の主張が何の理由で食い違ったかが理解できれば、

さほど問題ではありません。

しかし、食い違いの理由がわからないとき、

つまり、思いこみや曖昧な記憶、表現の不的確な言動による誤認識によるとき。

この場合は厄介です。

互いに意地を張った主張者の誤解の解消から入り、

片方、あるいは両方は信じていた事実と別のものを事実として受け入れなければ行けないのです。

これには互いの主張をまとめ、事実確認、認識の相違点の修正、解決。

と、膨大な時間と労力を費やします。時には、解決できないこともあります。

裁判官は、この場合、双方の意見を同時に取り入れては矛盾が生じるので、

やむを得ず主張を退けることになります。

このときに公平さを欠いてはいけない。

情状酌量という例外はあるにせよ、

あくまで片方に偏った審判をすることは決してしてはいけないことである。


by arashimata | 2008-05-16 17:11

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